私の人生の選択について考えてみた

今の自分が存在するのは今までの自分の選択の結果である。これは紛れも無い事実です。
私は今40代前半ですが、何度か人生の岐路というものがありました。その時の選択の結果、現在の自分があります。選択を後悔したこともあります。
「あの時別な道を選んでいれば」と思う事もありました。

別な道を選んでいたらどうなっていただろう。

・もしも滑り止めでも合格した大学に入学していたら・・・

[Campus life: Students in conversation at Boston College dormitory]
By Burns Library, Boston College

私は高校の時、超文系で古文や漢文、また日本史が好きでした。大学受験時は当然ながら文学部を中心に受験したのですが、ことごとく落ちてしまい、なんとか滑り止めの大学1校に合格しました。しかし希望する大学ではなく、当時は偏差値の高い大学に絶対行きたいという見栄もありましたので、両親と喧嘩し、結局予備校への道を選びました。当時の挫折感というのは今でも鮮明に覚えていて、春になるとあの時の所在感の無さ、みたいなのを思い出す事があります。
予備校に1年間通いましたが、結果は現役の時と変わりませんでした。考えるに、偏差値の高い大学に合格する事だけがゴールで、その後をどう歩みたいか、を考えなかった自分には浪人しても同じ結果が待っていたのです。これは大学受験に限らず就職でも同じ事でした。自分の人生をどう主体的に生きるか。

滑り止めでも合格した大学に行っていたらどうなっていただろうか?その大学は京都にありました。割と歴史のある大学です。京都での学生生活を満喫したでしょうか。しかし学生生活なんてどこにいても一緒で、要はやはり自分がどう生きたいか、どんな夢を叶える為にどんな大学生活を送りたいか、を意識しないと4年間無駄に過ごしたに違いないでしょう。

1年間浪人して入学した大学は滑り止めで何となく受けた大学で、学部も社会福祉学部でした。回りの知人からは「福祉の勉強するんだ、偉いね」なんて言われましたが、当時は挫折感を引きずったままでした。この大学を卒業してどんなことやりたいなんか、これっぽっちも考えておらず、ただ4年間をやり過ごしたような感じでした。

・もしもパチンコチェーン店に入社していたら・・・

パチンコ Narimasu_Tokyo - Japan
By _Lem0n_

そんなポーッとした4年間でしたから、就職活動の時期になるととても焦りました。回りの友人達は次々と内定を得る中、自分は4年生の秋を過ぎても内定が一つもないという状況でした。そもそも一般企業に就職するか福祉の道を選ぶかという事も全く定まっておらず、とりあえず受かった所に、なんて考えている自分を採用してくれるところなんてあるはずもありません。前年まではバブル景気で「面接に行くだけで内定が出た」「電話かけたらその場で内定が出た」なんて話を聴いていたので、自分も「行けば受かるだろう」と小学生みたいなこと考えていました。しかし4年生になる前にバブルは崩壊。企業は一斉に採用を控えた時期でもありました。
ただ焦りとかそんな気持ちばかりが大きく、不採用の通知を見ながら呆然としてました。「自分がやりたいことは何なのか」を考えずにいた当然の結果だったと思います。バイトに行っていた旅館の部長さんが心配してくれて「ウチに来なよ」と、今思うととてもありがたい言葉をいただいたのですが、田舎の旅館なんかで働きたくない、こんな田舎で終わりたくない、なんて思い、せっかくいただいた言葉を反故にしてしまいました。自分にも応援してくれる人がいるんですね、思い出して書いていると涙が出ます。

そんなこんなで4年生の冬にとある就職セミナーみたいなものに参加して、参加企業のブースで話を聴いて回ったんですが、たまたま聴いた企業がパチンコチェーン店でした。積極的に学生を採りたい、特にこれからは大卒の人材を積極的に採用して将来的には幹部になって欲しい、そんな話がありました。自分が何をしたい、なんて無かった自分ですから、「ここなら内定をくれるかも」とただ「内定」を得ることがゴールになってしまい、進められるままに本社への面接にも行き、見事?に内定を得たのでした。しかし年が明けての内定式に私は行きませんでした。パチンコ屋さんが悪いといっている訳ではありません。プライドだけはあったのでしょう、パチンコチェーン店の内定を得た事はあまり友達にも話せなかったし、親にははっきりと言えませんでした。「パチンコもやってる会社に内定をもらった」と話していたように覚えています。年が明けても進路が決まらない自分に両親がしびれを切らし、とうとう父親が長崎の田舎から愛知県までやってきて「これからどうするんだ」といった話をしにきました。

話がそれますが、親の期待に応えてしまうことが、自主性を失ってしまう、親の過度な期待は子どもの自主性を奪ってしまう。今ではそんな事を考えますが、私の自主性の無さの原因の一つは親の期待に一生懸命応えようとしていたことかも知れません。両親を責める気持ちはありません。我が子可愛さの気持ちがあれが、親が子どもに期待するのは当たり前でしょう。しかし過度な期待は子どもを萎縮させたり、期待に応えようとして子どもが親に嘘を言ったりすることがあるのではないか、と自分の経験からは思えます。

「親を心配させまい」そんな気持ちもあり、大学の就職課に貼ってあった福祉施設の求人に応募し、「社会福祉学部卒だから」という理由で大した面接もなく、そこへの就職が決まりました。それ以後私はずっと福祉の道を歩んでいます。

http://www.flickr.com/photos/tyobita1985/6886936029/
By tyobita
パチンコチェーン店に入社していたら、私はどんな道を歩んでいたでしょう。あまり想像がつきません。しかし人生の岐路に立った時、いつも考えさせられるのは「人生をどう生きたいか」「自分は何をしたいのか」です。今に限った事ではなく、遥か昔からこんなことは散々いわれてきた事ではありますが、これらの言葉を、本当に真剣に考え、計画し、実践した者のみが人生の意味、生きていく意味を勝ち取るのではないかと私は考えています。

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