毎朝愛する人のことを考えると幸せになれる、と思う。

Happy Children Playing Kids
epSos .de

朝起きて、不快なことを思い出して、その日その嫌な気分に支配されてしまうことがあります。
職場の人間関係が多いのですが、その他に過去の失敗だったり、後悔していることだったり・・・。
気分が口から言葉となって出る時もあります。「くそっ!」「何だよ!」「馬鹿っ!」汚く罵る言葉です。更に嫌な気分になります。

先頃から読み始めた「小さいことにくよくよするな」にこんなことが書いてありました。

”私がこの戦略を実行しはじめた理由は、腹がたつ人ばかり思い浮かべることがいかに多いか気づいたから だ。あの人のここが嫌いだ、あそこがいやだと考え出すと、たちまちお先真っ暗になってしまうのだ。しかし、毎朝だれか愛する人のことを考える癖をつけよう と決めて実行したあとは、その人にたいしてだけではなく、その日の午後もずっと積極的で明るい見方ができるようになった。だれにたいしてもイライラしなく なったとは言わないが、たしかにいらだつ回数が減った。私がよくなったのはこの訓練のおかげだといってもいい”

朝起きて顔を洗って、また不快なことを思い出した時、ふっとこの言葉が浮かんだのです。

”その相手が決まったら、あとは「今日もいい一日になりますように」とその人のために願うだけでいい”

「今日は愛する子どものことを考え、幸せを願おう」そしてそれを実行してみました。
Sky
Cuba Gallery

曇天から青空が開けてくるような、気持ちが湧き上がってきました。
朝起きて愛する人のことを考え、今日もいい一日になりますように、とその人のために願うだけ、これだけで朝のあの不快でたまらなかった気持ちから解放されたのです。某有名なブロガーの言葉を借りれば「Woo,Sweeeeetっ!!」な気分です。

少し掘り下げて考えてみると、私の朝の不快な気分は主に仕事の人間関係が大半を占めていたのですが、「愛する人のことを考え、今日もいい一日になりますように」と願うことで、ハッと気づかされたことがあったのです。

「私はその一部の職員のために働いているのではない。私は自分のため、家族のため、世のために働いているのだ」と。
なんてことはない、この気づき。しかしこれを実感として得るまでだいぶ苦労したような気がします。

先人達は大昔から実行していた
Pray
Jacopo Caggiano

私の実家の母は毎朝、仏様に般若心経を読み、最後に「○○(私の名前)と○○(嫁)、○○(子ども)が今日も一日元気で健康で暮らせますように」と言ってます。帰省した時に聴いて、いつからこんなに信心深くなったのかな、くらいしか思いませんでした。今、考えてみると母の深い愛を感じるわけですが、これは私の母に限ったことではなく、先人達が大昔から行って来た”良き習慣”ではないかと思います。

他人を罵って、罵ることで自分の気分までも不快になるよりも、誰かのことを思ってその人の幸せを願う。他人の幸せを願うことで自分の気持ちも明るく安寧になる。
先人達が行ってきたそれは、例えばお経であったり、祈りであったり、そういうものだと思います。他人を罵るような気持ちを持ち続けることは、決して自分の幸せには繋がらない。他人の幸せを願う気持ちを形にして、脈々と受け継がせてきたのだと、私は理解しています。

珠玉の名言が詰まっている「小さいことにくよくよするな」
上記に紹介したようなこと以外にも名言が詰まっています。

”人は自分が気分に支配されていることに気づかない。だから、とつぜん人生がしんどくなったりするのだ。”

”いいこと/悪いこと、認められること/拒絶されること……。私たちの人生はその繰り返しだ。 ”

”私たちはそれぞれちがうんだ、という事実を深く考えて尊重することをおすすめする”
”「どこに行っても自分と道連れ」――これは真理”

まだ完読してませんが、この本が私の人生の指針になることは間違いなさそうです。

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