僕が精神科病院勤務で経験したこと

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今から15年ほど前、僕は精神保健福祉士の資格を取得して精神科病院に勤務した。
それまでは老人保健施設の介護職員として仕事をしていたのだが、地域との関わりだとか、認知症(当時は痴呆と呼んでいた)の社会資源とかの関わりを勉強したい思いや、面接技法を身につけたいだとか、そんなことを考えて精神保健福祉士の資格を取った。聞こえの良いことばかりを並べたが、結局は介護職員では食べていけない、ということが分かり始めて、なにかもっと資格を、食べていける資格を持っておかなければならない、と思ったのが本当のところだ。当時僕は30手前で夜勤を月5回しながら基本給は12万くらいしかなかった。ボーナス支給の時期とかになるとニュースで流れる公務員の賞与額をいつも羨んでいた。

精神保健福祉士を取得したが、給与は介護職員とさほど変わらなかった。だけども、それ以上に僕を驚愕そして決して許すことができないであろう出来事が精神科病院では行われていた。
僕が精神科病院に精神保健福祉士として初めて勤務した病院は、現在は病院名も変わり、組織も大きく変わったと小耳に挟んでいる。トップだった理事長はここでは詳しく書けないが、後日、警察にお世話になることとなり、病院経営や診察等からは一切手を引いたらしい。問題の多い病院だった。

僕がその病院に初めて勤務したその日、驚いたことに外来に看護師がいなかった。そして院内処方であるにも関わらず、薬剤師がいなかった。事務員が外来の診察室に入って、患者さんの後ろに立って理事長の診察をじっと見守るような、本当に驚くようなことだった。薬剤師はいたのだろうが姿を見るのは週に1回か2回。それも午前中だけで、これまた事務員が薬を薬袋に入れていた。

驚くべきはこれだけではなかった。理事長以外の常勤の医師がいなかった。病床数は200以上あるのに、常勤の医師が一人だけ。非常勤の医師が週に2回くらい来ていた。
そしてリハビリが一切行われていなかった。リハビリを行う専門職、特に精神科に必要とされる作業療法士が一人もいなかった。びっくりした。

病棟に行くともっとびっくりした。男性病棟と女性病棟、そして認知症の病棟があり全部閉鎖病棟で、男性病棟に行くと怒号が聞こえた。
「早くメシを食え!!」「いつもメシ食うのが遅いだろうが!!」
怒鳴っていたのは男性看護師で、怒鳴られていたのは知的に障害がある患者さんだった。
違う日には男性看護師から患者さんが柔道の技をかけられて、投げ飛ばされていた。

すぐに告発するような勇気と知恵がその当時の僕にあれば良かった。
しかし、精神保健福祉士として初めて就職した病院でもあったし、勇気も知恵もその当時は持ってなかった。

何も知らずにその病院に勤務したことを、激しく後悔した。

看護師を法に基づいて人員をそろえているのかも疑わしかった。
ある日、「新しく入った看護婦です」と言われ、事務所内に入った来た人は、どうサバを呼んでも80歳を超えたおばあさんだった。おそらく人員を充足させるための名義貸しだったのだろう。紹介された日以外にそのおばあさん看護師を見ることはなかった。

男性病棟から怒号が聞こえない日はなく、患者同士のけんかも絶えず、リハビリや社会復帰に向けた活動も存在せず、長い人は50年以上入院している人が居た。
評判の悪い病院だったからだろう、理事長が外来診察の当番の日は、外来患者数がゼロということが何度もあった。
入院患者さんだけを収入源としていた。患者さん達の人権を蹂躙して、その上にのさばって暴利を得ていた、本当に許せない病院だった。
良心ある職員もいたが、積年されたドロドロしたものが駆逐していた。

僕はその病院を5ヶ月で退職した。よく5ヶ月ももったと思う。すぐに辞めるべきだった。そしてしかるべきところに告発すべきだった。

現在でも精神科病院での暴行や人権を踏みにじるような事件が起きている。

精神科で暴行死?患者の父が画像を公開 – 産経ニュース


精神科病院に限らず、介護付き有料老人ホームででも虐待や死亡に至る事件と思われる出来事が起きている。
何れにしても、オープンになっていない環境がこのような出来事をもたらしているように僕は感じている。

「地域に開かれた」とか「地域の方々と共に」と理念で掲げている医療機関、介護施設は数多あるが、これらの言葉が額縁の中の言葉だけではなく、形ある実践を伴わなければ悲劇は繰り返される。

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