着古した親のイメージを手放す。

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40代後半もなって、親のことをあれこれ言おうとは思わない。しかし、幼少期や青年期に親から放たれた言葉や態度というものは、心にしっかりと刻み込まれている。意識的にも無意識的にもこれらの言葉や態度が、少なからず自分の生き方にも影響を与えていることは、自分というものを考えたことがある人にとっては明白なことだろう。

僕にとっては、父との希薄な関係、そして希薄な関係な中でも父から放たれた、時には幼いながら自分の耳を疑うような言葉を受けたことは、強く胸の中に刻み込まれている。そのことによって、父を激しく憎んだし、大人になってからは、無視という態度を選択した。

僕自身が父親となって、父の気持ちも少しは理解ができるようになった。子供に期待していた気持ちもよくわかった。父も未熟だったし、子供に幸せになってもらいたいと思っていたに違いないのだ。

「『幸せになる』という気持ちが大事です。」という本を読んだ。

第8章に「許すなんてなかなかできない!」があり、副題として「着古した親のイメージを手放しましょう」と書かれていた。

幼い子供は親の庇護がなければ生きていけません。でも親がいつもパワフルで機嫌がいいとは限りません。また子育ての知識や技術が充分だとも期待できません。そこで子供からみると「ひどい目にあった、あわされた」という感想を持つこともあります。心の深い部分で「親を許さない」になっています。

この幼い時に抱いてしまった親に対する認識を変えない限り、本当に自立した大人にはなれません。認識を変えるには「親も精一杯頑張ったのだが未熟だったのだ」と親を許すことです。

でも、この許すというのが「頭」では理解できても、感情的にはなかなか簡単にはできませんね。なぜでしょう?

現実の親に対して何とか許そうと努力するから、難しいのです。自分の心の中で許せないと思っているのは、当時の若い親です。今の年老いて小さく軽くなった親ではありません。

現実の親と戦ってはいけません。戦うのは自分の心の中にある心象の親です。自分で作り上げているイメージの親です。この自分の心の中にある親と戦って、乗り越えなければならないのです。

乗り越える最強の手段が「許す」ことですが、実は親を許そうとするのではなく、自分を許すことです。親を許さない、と、つかんで離そうとしない「幼い自分」を許すことです。

(中略)「よく頑張ったね。でももう大丈夫。もうその手を離していいんだよ」と。

するとやっと親を手放すことができます。「まぁ、親も大変だったのだなぁ」と許すこともできるのです。

出会って良かった本である。幼い自分を許すことで、親を手放し「許す」こともできる。少し、自分が楽になった。

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