岸辺のアルバムー2017年7月5日朝倉大水害

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「岸辺のアルバム」というドラマがかつてあった。見たことはない。しかし、名作ドラマということで紹介されているのは見たことがある。

「岸辺のアルバム」は1977年の多摩川大水害から山田太一が構想を得て、ドラマ化されたらしい。

7月5日に線状降水帯による豪雨で未曾有の被害を受けた、福岡県朝倉市。

20代の約6年間、僕は朝倉市(旧甘木市)で過ごした。いくつもの河川があり、春になると川べりに咲く菜の花が美しかった。

妻の実家は朝倉市の筑後川支流のそばにある。 7月5日、妻はたまたま昼前から義父を病院に連れていくため、実家に帰っていた。 病院受診を終え、実家に帰ってみると避難勧告が既に出ていた。しかし、その時はまだ川は氾濫していなかった。 僕に「避難した方がいいのかな」と電話してきた。「う〜ん、分からんけどまだ大丈夫じゃないの?」と返答してしまったが、すぐにまた電話がかかってきて「やばい、川が溢れてきた!」とものすごく焦っていた。

妻は足の悪い義父をすぐさま車に乗せ、川なのか道路なのかわからないような所をなんとか運転して、避難所に行こうとした。しかし、避難所までの道が寸断されていて行けそうもないので、とりあえず近所のドラッグストアの駐車場で雨が止むのを待っていた。

雨は一向に止む気配がなく、それどころかますます激しくなっていた。ドラッグストアの駐車場もくるぶしくらいまで浸水している。 妻は義父と車の中で一夜を明かす覚悟もしたらしいが、幸いにもドラッグストアの近所にいる親類から連絡があり、そこに避難させてもらうことになった。ラッキーだったと思う。

僕自身は昭和57年7月に長崎大水害を経験している。 この時の雨も酷かった。夕方から母と妹と従姉妹と外出先から帰宅しようとした時、真っ黒い雲がモクモクと湧き上がり、ものすごく怖かった。そして、家の中にいても会話ができないくらいの打ち付ける雨。 幸いにして僕の家は被害はなかったが、友人の家は床上浸水などの大きな被害を受けた。

今でも、大雨が降るといつもこの長崎大水害を思い出す。

親類宅で一晩過ごした妻は実家に戻って見たが、床上まで浸水していて手のつけようがない状態だった。持ち帰ることができるような物だけを車に乗せて持ち帰った。

義父はデイサービスを利用する予定だったが、デイサービスも送迎ができる状態ではなく、ショートステイの予定の日まで僕の家で過ごすことになった。 ショートステイの施設も被災しているはずなのだが、「できるだけ受け入れます」と返答してくださり、家族としてはとても感謝している。

妻の実家をどうするか。義兄や叔父たちが話し合っているようだが、結論はまだ先のようだ。それよりも泥水で汚れてしまった家の片付けができるかどうか。親戚も高齢化していて、義兄だけではとても始末がつかない。ボランティア等の手も借りてできれば、と僕自身は考えている。

今、僕の家には昨年亡くなった義母と5年前に亡くなった義祖母の遺影がある。 妻が泥で汚れた仏間からなんとか持ってきたものだ。

「岸辺のアルバム」では家が濁流に飲み込まれる前に必死に持ち出したのがアルバムだった。 今回の朝倉大水害ではアルバムさえ持ち出せなかった家族もたくさんいると思う。35年前の長崎大水害でも同様だっただろう。

もはや住めない状態であろう妻の実家だが、流されずに済んだ。

遺影で微笑むお義母さんとお義祖母ちゃんが守ってくれていた、と僕は感じている。

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