ブログを毎日書いてみようと決断した!
ブログを毎日書いてみようと決断した!
小学5年から6年にかけて、担任の先生の方針でクラス全員が日記を書いていた。そしてほぼ毎日その先生に見てもらっていた。
今思えばすごく大変なことだったろうと思うが、30人以上の児童全員の日記に先生が毎日コメントをつけてくれていた。
先生は毎月「学級通信」みたいなのも作っていて、30数人の日記の中で学級通信に載せたい日記には※印をつけてくれていた。※印がついて学級通信に載せられるとなんだか嬉しくて、みんな毎日続けて日記を書いてきていた。
私も学級通信に載せてもらいたくて、毎日日記を書いた。先生に※印をつけてもらうのが楽しみだった。
先生が※印をつけてくれていた内容を思い返すと、何気ない生活の中での子ども同士の思いやりの気持ちとか、親に対するありがたみだとか、そんな内容が多かった。しかし、ただ良いだけの日記ではなくて、ネガティブなことでも気持ちを素直に文章に載せた日記に先生は※印をつけてくれていたように思う。
「書くこと」で得られるもの
中学に上がってからは、日記を書くは止めてしまった。書いてもコメントしてくれる先生はいないし、日記を書く事自体が「面倒くさい」と思っていたのだろう。部活や友達と遊ぶ事に懸命になっていた。
しかし、ふと日記を書きたい衝動にかられることがあった。それは自分の家族の中で何かトラブルがあった時や友達との仲がギクシャクした時、そんな時だった。あった事を書いて、自分の気持ちを書いた。書く事で自分の気持ちの整理ができた。ネガティブな思いをポジティブに変える事ができたように感じた。
高校、大学と日記を書く習慣は全く根付かなかったが、それでも自分の気持ちがモヤモヤしている時は書いて気持ちの整理をしていたように思う。
社会人になって、私は福祉関係の職に就いた。そこでは「記録」の重要性が叫ばれていた。患者さんや利用者さんの観察をし、普段の様子や出来事、トラブルの内容などあったことを必ず記録をして情報を共有することにしていた。これはリスク管理の意味でも確かに重要なことであった。でも「記録」と言っても、簡単に言えば、患者さんや利用者さんを見て、事実や感じたことの日記であったと思う。
大事な事は「事実」「気づき」「気づきをどう活かすか」「気づきの共有」。
これらは「書く作業」を行って得られることが多いと思う。
「書くこと」で「気持ちの整理」ができ、「気づき」も得られる。さらに共有すれば世の中の役に立つかも知れない(なんてね)
決断し、誓約した。あとは続けるだけ!
実はこのサイトの影響も大きい。サムリのブログ ブログを続けていくと人生が変わる3つの理由
なんだかんだゴタクを並べても始まらないので、とにかく楽しんで続けてみようっと!
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