古典から考える事
By awrittensin
行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中の人とすみかと、またかくのごとし。
高校生の頃、私は超文系でした。国語、特に古文が特に好きで、この「方丈記」は今でも諳んじてしまうことがあります。
最近職場での人事異動や所属している職能団体での役員人事などがあり、私自身や私を取り巻く環境も少しずつ変化しています。主婦業だった妻がパートで仕事に出る事になり、子どもも保育園に通う準備をしています。
私にはいつも変化はシンクロしてやってくるように感じています。私自身が変化すると取り巻くものも変化している。周期的に、それがいくつかの大きな波のようにやってくる、そんなふうに感じています。
誰でもそうかも知れませんが、私にとっても変化は不安を生じさせます。知らない事が多いからです。以前は環境を変えることで自分がどうしたいか、その主体性が抜けていた為に、ただ流され、生きている心地がしませんでした。変化というものは「自分の主体性を問われている」ようにも感じます。
世の中は常ではない、無常ということは誰でも承知です。私自身が思うのは変化をどう捉えていくかで、その後のシンクロも変わってくるように思います。消極的な姿勢なら消極的な流れに、積極的であれば積極的な流れに、なるんではないかと。
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