密かに故郷の再興を考える
http://www.flickr.com/photos/conlosannosquemequedan/4726889785/
By Con Los Annos Que Me Quedan
私の地元は長崎県南島原市。長崎県の南西部に位置し、人口は5万人弱。
かつて中世の頃は長崎よりも早く開港し、南蛮文化の一大拠点でした。また明治の頃は福岡県大牟田から上海に石炭を運ぶ為の中継地で栄えたところでもありました。
しかしその後の興隆は見られず、未だに明治から大正にかけての栄華をわずかに残したまま、他の地方と同じく人口減と高齢化率の上昇だけが目立つ地域となってしまっています。
父が船乗りだったため、私は横浜などに行く機会があったのですが、都会の圧倒的な華やかさは小学生の私にとっても「なんで自分の住んでいる所が都会にならなかったのかなあ」と言わしめるほどでした。かつて歴史の中の話しとは言え、教科書に載るほどの栄華さを誇った所に時を経て住んでいる者としては、それは至極当然に思える事ではないでしょうか。
そこで今回は全くの妄想でありますが、私が密かに考える我が故郷の再興を書き連ねてみます。
1.岬の聖母教会を再築する
By palestrina55
キリシタン大名有馬氏と小西氏の下で、島原天草は南蛮文化を花咲かせていました。セミナリヨ、コレジヨがあり本邦初の活版印刷も行われた、とのことでした。ほとんどの住民が洗礼を受けており、岬の聖母教会があった、とのことです。現在はお寺になっていますがその名の通り島原半島の尖端にあり、海の臨める所です。史実通りにはいかないでしょうが、海の臨める所に岬の聖母教会を再築したらどうだろうか?と思ってます。
天草には隠れキリシタンもおられ、脈々とその文化が受け継がれてきました。そのため教会も明治以降作られ自然と共に美しい景観となっています。しかし、島原半島は島原の乱で住民総全滅してしまい、キリスト教にまつわる建物も建てられませんでした。
島原の乱記念館と銘打ってでも、南蛮文化の名残を思わせるハコモノを再築する、これがかつてキリシタン文化の花開いたランドマークにでもなればしめたものでしょう。
2.ゆるキャラ&アイドルユニットで地名を売る
今回の記事を思いついたのが、これを書きたかったがためです。
YouTubeで戦国鍋のシマバラン伝説とかGO天正遣欧少年使節を見て、これを我が故郷の再興に使わない手はない!と感じたわけです。
かつての歴史上の人物をこれだけ偶像化した企画があったでしょうか?
シマバラン伝説を歌う、天草四郎と島原DE乱れ隊の踊りのキレの凄さ、天正遣欧少年使節の爽やかさ、女性が飛びつかないはずがありません。
故郷にはベイガ船長というゆるキャラがいます。全国数あるゆるキャラの中で背が一番高い、3.5mの身長があります。(中に入っている人は大変だけど)
ベイガ船長
このゆるキャラとアイドルユニットで売り出せばちょっとは話題になるかもしれません。
3.フェリーを南蛮船仕様にする
By mharrsch
島原半島と天草を結ぶフェリーがいくつかあります。西九州を繋ぐ重要な航路です。船自体は一般的なフェリー船でそれはそれで格好良いのですが、中世南蛮文化を売りにしたい私としては、このフェリーをいっそ南蛮船仕様にしてしまったらどうか、と思うわけです。
全て私の妄想でありますが、故郷について、再興であったりかつての栄華をとりもどしてほしいと思いは誰しもあるとおもいます。今、私は故郷から離れて暮らしています。今住んでいる所で、昔ながらのお祭りなどで地元の方々の盛り上がりを見ると、羨ましいな、と思うことがあります。参加すれば私もその盛り上がりに加わることはできるのでしょうが、やはり幼い頃から祭りに参加している人とは感慨深さも違うように感じます。私の故郷のお祭りは少子高齢化により、縮小化を余儀無くされ、賑わいは無くなりました。本当に寂しい限りです。妄想でも故郷にかつての賑わいを取り戻して、離れ離れになってしまった友人たちと自分たちの生まれ育った地の誇りを次の世代にも受け渡していきたいと願って止みません。
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