ポタリング記:水城、国分寺跡、観世音寺

2019年6月9日

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寒い日が続きますが、久しぶりに自転車を漕いできました。
昨年は太宰府に移住して10年になる記念に、と太宰府検定の初級を受検しギリギリの点数で合格をゲットしました。
今年も6月2日に太宰府検定が行われます。今度はちょっと頑張って中級にチャレンジします。
しかし中級の合格率は確か10%台だったと思います。まあ1年で合格は無理だとは思ってますが、いつかは合格したいなと思っています。

テキストだけでは歴史の奥深さは感じられないですし、実際見た方が記憶の定着も良いのではなかろうかと思い、今年は太宰府紀行に掲載されている所をポタリングする予定です。

水城跡

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”水城跡は663年、白村江の戦いで唐・新羅軍に大敗したヤマト政権が敵の侵攻を恐れて天智天皇3年(664年)に築いた防御施設である。日本書紀には「大堤を築きて水を貯えしむ。名付けて水城という」と記されている”ー太宰府紀行よりー

結構交通量が多くて、現在も交通の要所です。展望台もあり、国道を造る時に削った断面とか分かります。

太宰府紀行を読むと、

”四王寺山から伸びた尾根と前方の背振山系から突き出た丘陵を結び、北の博多湾岸部から南の太宰府・筑紫野への向かう平野の最も狭い場所を塞いでいる。敵の侵攻が予想される平野部の最狭部を人工の土塁と濠で塞いだ防衛施設が水城である”

と書かれています。
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水城周辺は春は菜の花、秋はコスモスで彩られます。ちょっとしたウォーキングやポタリングにはピッタリです。
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国分寺跡

水城から少し南に下り、坂を登るに行くと国分寺跡があります。
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写真右の方が国分寺跡になります。

”天平13(741)年、聖武天皇は鎮護国家と五穀豊穣を祈念して、奈良に東大寺、諸国には国分寺・国分尼寺の建立を命じたが、この筑前国分寺は九州各国の国分寺の中心であった。正式には「金光明四天王護国之寺」。男僧20人と規定されていた。寺域は192メートル四方。南北中央線に南門、中門、金堂、講堂が並び、中門から回廊が七重塔を包み金堂に取り付いていた。現在の寺は金堂跡に建てられており、本尊は伝薬師如来坐像である”
ー太宰府紀行よりー

うーん、すごい歴史。というか今は礎石くらいしか残っていませんが、当時はかなりスケールの大きい施設だったことが分かります。

観世音寺

国分寺から太宰府政庁跡を過ぎて観世音寺へ。
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日曜日などは観光客で人も多いのですが、この日は平日で人も少なくひっそりしていました。しかし何か凛とした空気が伝わる場所です。

やはり実際行ってみると歴史の奥深さを肌で感じることができます。太宰府は歴史の宝庫です。これからもポタ記、続けます。