気になる言葉がある、でも言葉は変化する。

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気になる言葉、というのがいくつかある。

それらの言葉はネットの世界から発せられたものであったり、テレビで芸能人の輩が使っていたりするのものである。

テレビを見ない人が増えているというが、未だにテレビの影響は凄まじい。先だっての舛添東京都知事の件についてもマスコミの袋叩き状態は「酷い」としか言いようがなかった。これが民主主義なのか、と。そういったテレビの影響力は我々がふだん使っている言葉までにも影響を及ぼしている。言葉を軽んじて、間違っていても、芸能人や芸人が使っているから我々もなんとなく使ってしまう。テレビで言ってるから、ちょっと先取りした気持ちで普段の生活の中でも使ってみる。

そんな風潮を僕は違和感というか、気持ち悪く感じている。

以前、「ほぼほぼ」とか「ざっくり」という言葉に関して記事を書いた。皆んなが使っているから、という風潮はやっぱり僕には解せない。

「ざっくり言うと」とか「ほぼほぼ」って誰が言い始めたんだ。 | 書くことで得られるもの、をつかむまで

「ほっこり」という言葉もそうだ。語感からは、なんとなく和んだとか心温まる出来事とか、そういうことを指すのだろう。間違いではないらしい。地方によっては全く逆の意味になるところもあるらしいが。ほっこり、もあっという間に上記の意味であらゆるところで使われ始め、スタンダードな位置を獲得した。

世界から誤用の”ほっこり”を誤用で撲滅する – 斗比主閲子の姑日記

まるでほっこりしない「ほっこり」の話

言葉、というものは変化する。発音や文字の書き方も流行というものが存在する。僕が中学生の頃は「丸文字」というのが流行った。そして大学生の頃は「平板化」したアクセント、というのが一時流行してテレビに出ていた芸能人が使いまくっていた。それを真似て僕の友人たちも使っていたが、僕はそれが気になっていちいち修正させていた。「お前、ちょっと前までそんな発音してなかったじゃないか」と。五月蝿い人間だと思われたに違いない。

解説:アクセントの平板化 | 国立国語研究所

おっさんの戯れ言である。言葉は変化する、ということを覚悟して、違和感を感じても、眉間にしわを寄せてはならないのだろう。