我以外皆我師、そして感謝。
「我以外皆我師」、
という言葉は宮本武蔵が残した言葉だそうである。
正しくは吉川英治先生が書かれた「宮本武蔵」の中で、この言葉があるということである。
病気は教えてくれる
両手のキーンベック病手術のために、僕は昨年と今年、3回入院した。
入院中はヒマである。
いろんなことを考える。
そして、いろんな人を見る。
人を見ながら、考えながら、僕は
「病気はいろんなことを知らせてくれる、気付かせてくれる」、
という思いを強くした。
病気の形は様々だけれども、病気になるのは何らかの要因が必ずある。
僕の場合、手の酷使、というのが一番の要因だろう。
しかしながら、僕以上に手を酷使している人は星の数ほどいる。
なぜ僕はキーンベック病になったのか?
入院中、整形外科の担当のDr.は朝7時過ぎには回診を始めていた。
入院患者一人ひとりに声をかけ、
「大丈夫ですか?」「痛くないですか?」
と毎日欠かさず声をかけていた。
朝だけではない。
外来が終わった後も、病棟に上がり一人ひとりの様子を見に来ていた。
そればかりではない。
このDr.は午前の外来が終わると手術を行っていた。
手術が終わると午後の外来。
これが日曜を除いて毎日である。
自分の使命に気づき、覚悟を決めて自分の生き方で、自分を生きている、
そんなことを感じさせるDr.だった。
僕自身はこのDr.に手術してもらって本当に良かった、と心底思っている。
タフであり、且つ患者のことを毎日気にかけ、超一流の腕を持っている、
そんなDr.だと思っている。
このDr.に出会わなければ、僕はキーンベック病と診断されなかっただろうし、手術を受けることもなかっただろう。
Dr.だけでなく、リハビリの先生、ナースにも感謝している。
僕はキーンベック病になるまで入院して患者になる、という経験がなかった。
患者になって初めて分かったことがたくさんあった。
そういう意味ではキーンベック病になったことも有難いことである。
病気はいろんなことを知らせてくれる、そして教えてくれる。
職場のストレスでボロボロになっていた僕は、意識の上でも無意識的にも疾病利得を選んだ。
一時期は生きることからさえ逃げようとしていた。
しかし、キーンベック病になり、考える時間ができ、入院先のDr.や職員さんに感謝するということを身をもって体験することができた。
我以外皆我師。
病気でさえ、否、病気になったからこそ病気が教えてくれることに感謝することができる。
感謝の気持ちを持ち、僕は自分の人生を歩んでいきたい、と今思っている。
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