知識を持ち、多様性を認める社会をつくろう。
先日、息子が通う小学校の授業参観に行った。
辞書を用いて、言葉の意味を知る、という授業だったが、担任の先生の進め方がとても上手くて、大人が聞いていてもとても興味の持てる内容だった。
息子達のクラスの人数は30名あまり。各学年4クラスほどあり、小学校の規模としては大きい方だと思う。
少子化で廃校になってしまった僕の母校からみたら羨ましいほどの児童数である。
しばらく授業を眺めていたが、一番後ろの席に担任の先生とは別に、もう一人の先生が隣の子に寄り添うように座っていた。
一番後ろの席の子は、多動があるようで、手を挙げる場面ではないのに突然手を挙げたり、席を立とうとしたり落ち着きがない場面があった。
その度に、寄り添っている先生が言って聞かせたり、一緒に付いて回ったりしていた。
かと言って授業自体が途中で止まったりすることはなかった。
他の子もその子を拒絶することなく、フォローしてあげたりして、いつも当たり前に居る、そんな雰囲気だった。
僕が小学生の頃、約35年以上も前になるが、障害を持った子と一緒の空間に居る、という経験は全くなかった。
テレビとかで障害者のことは知っていたが、実際に障害を持った人と会ったことがなかった。
通っている小学校に障害を持った子が存在しなかった。
障害を持った子とは隔絶されていた、と考えている。
僕の住んでいた町には障害を持った子がいたはずだ。
しかし、見たことがなかった。
おそらく、入所施設なりに入っていたのだろう。
噂話で「あそこの子は〇〇というところに入っている」というのを聞いたことがあった。
〇〇というところは僕が住んでいた実家からは車でも2時間以上かかる遠い町だった。
僕が初めて障害を持った人と接することになったのが大学生になってからだ。
何の因果か、福祉系の大学に入学してしまい、将来の目的もなかったが、ふとしたきっかけで障害を持った子とプールで遊ぶ、というボランティアに参加した。
初めて障害を持った人と接するという機会。正直どう接して良いのかわからなかった。愛想笑いだけはたくさん振りまいていた。
プールで一緒に遊ぶことは楽しかった。僕自身が楽しかった。良いことをしたとかそんな偽善者めいたことは思いたくなかったが、何の目的もなく、ただ単に福祉系大学に入って、講義もろくすっぽ聞いてない僕でも、少しは役に立つことがあるのかな、なんてことを少しだけ思った。
知らない、ということは怖さを生む。
障害を持った人と接する機会から隔絶されていた僕は、障害を持った人たちを知らなかった。
だからどう接して良いかわからなかったし、及び腰だった。「怖い」という感情も存在した。
しかし、知る、ことで怖さは消え去っていく。
「ガイジ」と障害を持っている子を蔑んで呼んでいた事件、周りのこと違うだけでいじめが発生する事件、そして今年の夏、神奈川で起きた障害者施設で多くの人が殺害された事件。
知らないこと、違うことだけで排除されてしまう風潮が根強く残っている社会は成熟された社会とは言い難い。
まず知ること、そして違いを認めること。
知識を持ち多様性を認める教育こそが、イジメや差別、痛ましい事件を根絶する武器だと僕は思う。
インテグレーションとインクルージョンの違い
多様性を認めることのたいせつさ。 | 岸本周平
公益社団法人日本発達障害連盟|トップページ
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